ドンと来い、後悔の人生。

2018/07/20

南無阿弥陀佛


暑い暑い暑い。

夏が大好きな私ですが、ちょっと暑すぎやしませんか。

かといってあんまり涼しくなると夏っぽさもなくなります。

もう少し涼しめに、でもお盆まではほどほどに暑くして。

あっと、ゲリラ豪雨や竜巻、台風は要りません。


どうやら私はエアコンと同じように、お天道様にもリモコンが欲しいと願っているようです。

 地元の小学校は今日が終業式。
子供達には待ちに待った夏休みの始まりです。

いつもはのんびり起床する跡取り息子ですが、今朝は鼻歌まで歌いながら、随分早い時間に目を覚ましました。

(もう少し寝かしておいて欲しいのに)どうして早く起きたのか、その理由を尋ねてみれば、「今日からはじまる なつやすみが、たのしみだから!」との元気な声。

顔を洗って、着替えて、朝のお参り、朝ご飯と、足取りはとても軽やかです。

 

 


彼はこれまでも、一緒にお出掛けをする約束をしていた休日の朝など、同じように大騒ぎしていました。

 

しかしその反面、その翌日の、学校がある日の朝ともなれば

 

「ああ、おでかけたのしかったなぁ・・・。」

「昨日にもどりたい・・・。」

 

と、愚痴をこぼしながら登校前の準備をするのです。

 



『中部経典』において釋尊(お釋迦さま)は、次のように説かれます。

過去を追うな。未来を願うな。
過去は過ぎ去ったものであり、未来は未だ到っていない。
今なすべきことを努力してなせ。

・・・お釋迦さま、正にあなた様のお説きになる通りが、救いなのでありましょうが、

どうして過ぎ去った楽しさは、あんなにも輝いて見えるのでしょうか。

思い出したくもないあの瞬間は、どうしていつまでも私の心に重くのしかかるのでしょうか。



過去に執われず、後悔せずに生きたい。



きっと私は、今日もその願いを持って、何かの理想や目標を立てて生きているのです。

しかしその理想が、目標が、今度は私の生き方を縛ります。

うまいこと進む間は良いのです。しかしそうは問屋が卸さないのはご存知の通り。

思い通りにいかなくなると、たちまちに「こんなはずでは・・・」と後悔を積み重ねます。


このように、どのように生きれば良いのか今日も迷うのがこの私です。

 

過去に執われ、未来を不安に思い、地に足をつけずに生きています。

 

どうにかしたい・・・でもどうにもならない、その生死の岸壁に立つこの私の為に、今、念佛があるのです。

もちろん、念佛してどうにかなるのではありません。思い通りになるのではありません。



念佛とは、「佛、我を念じたもう」ということ。


後悔はしたくないのに後悔を重ねて、あぐねる私にこそ、如来様の御慈悲はそそがれていたのです。

 



私は、後悔は人生を曇らす敵だと思っています。無駄なものだと思っています。

しかし念佛は、如来様の御教えは、無駄だ無意味だと私が捨てようとする存在を、いきいきとよみがえらせるのです。



そこから聞こえてくるのは、今日も佛道からはずれて生きている我が身の悲しさと、安心して後悔する生き方。

決して後悔しなくなるのではありません。後悔が喜びになるわけでもありません。



でも後悔が、私の人生を虚しくしているのではないのです。


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ウキウキと朝食を食べる息子に聞きました。


「きっと始業式の朝には、『ああ夏休みたのしかったなぁ』『昨日にもどりたい』と言いながら、ご飯を食べているんじゃないかなー。」と。
 


そうしたら彼はすかさず、キッパリ元気に答えました。
 

 


「だいじょうぶ!もう一日、がっこうを やすんだらいいんだよ!」と。




・・・そうだね、こたえはひとつじゃないんだよね。



合掌


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