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令和、を生きる。

南無阿弥陀佛

【住職】


5月となりまして、

ゴールデンなウィークさんの真っ最中でございます。

みなさま如何お過ごしでありましょうか。


10連休でありますが、

子供達が実に賑やかにしてくださいます。

笑い声あり、時に喧嘩もあり。


もう忘れてしまいましたが、

私も子供時代って、こんなに騒がしかったのでしょうか。


どうやら何かの真っ最中、

それが「当たり前」の真っ只中である内は、

そのもののすがたは決して観えないようです。


扨々いよいよ改元がなされまして、

先般より「令和」の世と相成りました。



思い起こせば、昭和から平成へと移り変わる頃、

私は7歳でありまして、とりあえず覚えているのは、

大好きなアニメが何週間もお休みになった事。


お人が亡くなるという一大事に起因する改元なのですから、

それは当然の事なのですが、

幼い私には、それはそれは恨めしく感じたものでした。



翻ってこの度の御譲位、改元。


前回と違うのは、なんだかウキウキしている子供達。

新聞テレビにインターネット、

どこもかしこも賑々しくお祝いの様子でありまして、

私個人としましては、

実に好ましく拝見している事でありました。



しかし、


いかに時代が変わろうとも、

何かが新しくなったとしても、

私の性根は変わっていません。


もしかすると、

世間の「おめでたさ」に流されて、

刹那的に「めでたい」と言っているだけではないか。


そんな視点を、厳しさを、

今だからこそ、改元を御縁として、

御念佛の御教えに、

私自身に、

たずねたいのです。



どんな世の中になったとしても、

自分の都合で一喜一憂しているこの私を憐れんで、

如来様はあらゆる時代を超えて、

まことに私をこの時代に立たしめようとご尽力なさいます。


如何に時代が変わろうとも、

南無阿弥陀佛を離れて私の歩みは成り立たない。


どんな世間となったとしても、

私に於いては、

他力と共にあってこそ、生きたと言えるのです。




私は、私が立たしめているのではない。




ここを忘れて生きる悲しみを、

如来様の喚び掛けに導かれ、

令和の世でも存分に思い知らされていきたいと念じます。



合掌




ともすると、なんだか「ふわっ」と、

時代が移り変わった感じも致します。が、


きっと、きっと見えないところで、

沢山の方々が汗水を厭わず、

力を尽くしてくださった賜物が、

この「ふわっ」としたおめでたさなのかなぁと。

そのように思わずにはおれぬのです。



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