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なぜ、念佛しとるんや。


南無阿弥陀佛

寒気恵まれたる日和となりました。

屋外だけでなく、お部屋の乾燥も気になるところ。

ワタクシ40歳を目前にしておりますから、

気を抜きますと、あっという間に風邪をひき、

あっという間に声が出なくなるようになりました。

もちろん、寝る時はマスク必須。

数年前までは気にも留めなかった自分の身体の事。

当たり前にぞんざいに過ごしていたのです。

しかし以前にも増して弱くなった、この身体さんこそが、

忘れてしまった身体の存在を、今、現に、教えてくださいます。


「ごえんさんは、なんで念佛しとるんや?」

ある時、突然に問われた私は、こたえる事が出来ませんでした。

いや、実際には

「お寺に生まれたから。」だとか

「念佛しかないと聞いているからだ。」とか、

とりあえずこたえて言いました。

言いました。

しかし、言ったものの、「それは本当か?」という自問自答。

私は自己の内から出でる疑念を、きっぱり拭えませんでした。

そして質問者からも、「浅いなぁ・・・」と言われる始末。

なんとも(私にとっては)意地悪な質問をしたこの御方に、

「では、あなたはどうして念佛しているのですか?」

という質問返しをしたい衝動にかられますが、

そんな資格は私にはないのだと、白旗をあげるより他にないのでした。

あれから数か月、

問われた事がくすぶったままの私は、

師のある御言葉に出遇います。

  (源空法師は)ただ南無阿弥陀仏ととなえるだけで、

  仏の生命をうること間違いないことを示したいのである。

  どれほど困った時代であっても、

  一生に一度も善心をおこすことのなかったひとでも、

  ただ念仏ひとつでたすかるというのは、

  いかにも浅いようにみえるが、

  この浅くみえる姿を示したのは、

  仏の慈悲心を浅い心のひとに知らせたいという深い心から出ている。

  難しいすじみちを、

  どんなひとにもわかるようにやさしい言葉で言えるひとが、

  ほんとうにもののわかったひとであることは、

  よく知るところである。

  人間の心は浅いが、仏の心は深い。

  深い心は、深いままではわからないから、

  単純簡明な念仏となったのである。

  それを聞いて、

  深いところから出てきたのであったと強く感動したのを、

  「深く信ずる心」という。

  わが能動の信も、仏のはからいのほかではない。

  (『感応道交-うなずきあう世界-』川瀬和敬 師)

何度も頂いた、御馴染みの御本、御馴染みの頁。

ですが、今、この私に、強く響いてくださったのでした。

「なんで念佛しとるんや?」

そうでした、はなから私の感知出来るものではありませんでした。

思いつく限りの理由は、私の都合に合う「カッチョイイ」こたえだけですね。

「浅いなぁ・・・」

そうです、浅いこの私にまで伝わるよう、深いところから出てきてくださったので、

私は御念佛を授かっているのです。

私は、浅いまんま。

年月によっても、学を深める事ででも、決して深くはならないのがこの私。

銅や鉛をどれだけ磨いても、決して金には成り得ない。

そんな私に届けて下さる金言よ。

御念佛は、私の悲喜をひっくるめて、こうして響く大音声ですね。

合掌

過去の ごえんさんだよりは、コチラからお願い致します。

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