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共に、悲しみを恵まれる。


南無阿弥陀佛

季節には、その季節の姿があると思ってました。

秋になれば金木犀がむせ返るほど薫り。

紅葉(モミジ)が、満天星(ドウダン)が葉を赤らめる。

ところがどっこい。

気が付けば金木犀は匂わなくなり、

紅葉も満天星も既に葉っぱがありません。

そういえば昨年から庭師さんが「金木犀はもうすぐ寿命」と仰っていました。

先日の大嵐が塩害をもたらして東側の葉を枯らせていました。

嗚呼、私の理想を、当然の事実が踏みしだく。

これが、御念佛の御催促。


先日、跡取り息子を叱り飛ばしました。

普段はなんやかんやありましても、出来るだけ穏やかに、諭すようにして対応させて頂く私。

自分自身、怒られたくない人間なので、大きな声を上げるなど以ての外。

理由や事実関係を確認しないまま、頭ごなしの注意はしたくありません。

そんな、いつも静かな私に大目玉を食らわされたのです。

夜寝る前に大騒ぎを始めた彼は、その果てに派手にコケて、自分と遊び相手に怪我を負わせたのにも関わらず、その責は自分には無いんだと言い放ちましたから、大声は上げませんでしたが、久し振りにガツンと叱る事となりました。

その目には、みるみる涙があふれ、「ごめんなさい・・・」と言葉を絞り出すものの、あれやこれやと湧き上がる気持ちの取り扱いに困り果てている様子が見て取れます。

その姿を拝むつけ、本当に申し訳ない事をしてしまったと身につまされてなりません。

小さい頃、私は先代住職から随分と叱られたものです。

本当に本当に厳しい方でした。

私は父が苦手でした。

自らに仇を為す者として毛嫌いしていた事もありました。

やがて、それらが大切なお育てだと知らされました。

手が合わさる世界が示してくださいました。

しかし

なるほど、子供を叱ると、こういう気持ちを授かるものとは忘れておりました。

子供の泣きじゃくる姿は、まことに応えます。

私は随分沢山の「いや~な気持ち」を父に味わわせて来たのですね。

取り返しのつかない事をしてきたものだとうなだれつつ、

返してみようもない御恩を授かってばかりだったと、改めて息子に教えて頂いた夜でした。

信心は、自分自身に対しては、どこまでもはだかならしめ、一点の甘えも許さぬものであるが、他に向かっては自己にあだなす存在かに見えるものまで、その存在の意味をいきいきとよみがえらせる力がそなわっているのである。(川瀬和敬 師)

合掌

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