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ちゃんと、ヘルニアでした。


南無阿弥陀佛

・・・暑さがもどって参りました。

暑いだの寒いだの、お天道様のご都合だろうに、

「もう涼しくなるはず」「もう暑くならないはず」と、

いろいろ妄想するのが大好きな私です。

そうやって好きに思うだけなら、かわいいのですが、

思った通りにならないと腹が立つ処までセットなのがやっかいです。

なるほど、私は私ですら手に負えないのですね。


過日、生まれて初めての“MRI”とやらを受けさせて頂きました。

要らぬ説明でありましょうが、

MRIとは「磁気共鳴画像(Magnetic Resonance Imaging)」の略で、強い磁石と電磁波を使って体内の状態を断面像として描写する検査です。

この「ごえんさんだより」を始めさせて頂いた頃にヘルニアになりましたと報告させて頂きましたが、現在も快復はしておりません。

2月、レントゲンを受けた後にヘルニアと診断が下り、薬で痛みをコントロールしながら身体が自然と治して下さる事を待っておりましたが、4ヶ月、5ヶ月と月日が流れても症状の改善がみられません。

そこで今一度、患部の確認する為、別の大きな病院でMRIを受けさせて頂く事と相成ったのでした。

・・・一週間後、撮影された画像と共に医師から告げられたのは、

「間違いなく、ヘルニアです。」というお言葉でした。

それに対して「そうですか。」とこたえるのと同時に、

私が脳裏に思い浮かべたのは、「良かった」という想い。

実際、その時も痛みは継続中でしたから、まさかヘルニアが治っているとは思っていません。

それよりも何よりも、ここで一番怖いのは、思いもよらない病気を告げられる事でした。

本来ならばMRIという「検査」によって、自分の力ではあきらかに出来なかった事が、あきらかとなる。

わからなかった事があきらかとなる。

その結果は、ただの事実で、私の善悪を持ち込むべきではない。

しかし実際、私は、わかならない事がわかるだけでは、満足できないのです。

検査の結果が思い通りになるか否かで、一喜一憂するのです。

私が「わかる」事は、畢竟新たな苦しみとなるのですね。

嗚呼、ままならぬ我が身よ。

佛教に於ける「苦しみ」とは、「思い通りにならない事」と聞かせて頂いております。

私は日々、「思い通りにならない事」と一緒に息をしています。

私はこれを不要のものとして、なんとか遠ざけようと努めます。

でももし、

この身を煩わす「思い通りにならない事」が、私に於ける大切な喚び掛けだとしたら。

私が要らないと思うものが、大いなる宝だとしたら。

御念佛もうす処、如来様の御声が我が身に響きます。

私のこしらえる良し悪しを飛び超えて、我が身にあだなすものをそのまま宝となさしめます。

その大いなる宝が、「思い通りにならなければ不幸である」との私の思い上がりを、

完膚なきまでに叩き壊して下さるのです。

私はそれを恐れますが、如来様の大車輪は止まることがありません。

最後に、人にかけるのではなく、自身で噛み締めるべき御言葉を。

人生における苦しみはすべて如来の激励(はげまし)である。 (曽我量深 師)

合掌

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