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ドンと来い、後悔の人生。


南無阿弥陀佛 暑い暑い暑い。 夏が大好きな私ですが、ちょっと暑すぎやしませんか。 かといってあんまり涼しくなると夏っぽさもなくなります。 もう少し涼しめに、でもお盆まではほどほどに暑くして。 あっと、ゲリラ豪雨や竜巻、台風は要りません。 どうやら私はエアコンと同じように、お天道様にもリモコンが欲しいと願っているようです。


地元の小学校は今日が終業式。 子供達には待ちに待った夏休みの始まりです。 いつもはのんびり起床する跡取り息子ですが、今朝は鼻歌まで歌いながら、随分早い時間に目を覚ましました。 (もう少し寝かしておいて欲しいのに)どうして早く起きたのか、その理由を尋ねてみれば、「今日からはじまる なつやすみが、たのしみだから!」との元気な声。 顔を洗って、着替えて、朝のお参り、朝ご飯と、足取りはとても軽やかです。

彼はこれまでも、一緒にお出掛けをする約束をしていた休日の朝など、同じように大騒ぎしていました。

しかしその反面、その翌日の、学校がある日の朝ともなれば

「ああ、おでかけたのしかったなぁ・・・。」

「昨日にもどりたい・・・。」

と、愚痴をこぼしながら登校前の準備をするのです。

『中部経典』において釋尊(お釋迦さま)は、次のように説かれます。 過去を追うな。未来を願うな。 過去は過ぎ去ったものであり、未来は未だ到っていない。 今なすべきことを努力してなせ。 ・・・お釋迦さま、正にあなた様のお説きになる通りが、救いなのでありましょうが、 どうして過ぎ去った楽しさは、あんなにも輝いて見えるのでしょうか。 思い出したくもないあの瞬間は、どうしていつまでも私の心に重くのしかかるのでしょうか。 過去に執われず、後悔せずに生きたい。 きっと私は、今日もその願いを持って、何かの理想や目標を立てて生きているのです。 しかしその理想が、目標が、今度は私の生き方を縛ります。 うまいこと進む間は良いのです。しかしそうは問屋が卸さないのはご存知の通り。 思い通りにいかなくなると、たちまちに「こんなはずでは・・・」と後悔を積み重ねます。 このように、どのように生きれば良いのか今日も迷うのがこの私です。

過去に執われ、未来を不安に思い、地に足をつけずに生きています。

どうにかしたい・・・でもどうにもならない、その生死の岸壁に立つこの私の為に、今、念佛があるのです。 もちろん、念佛してどうにかなるのではありません。思い通りになるのではありません。

念佛とは、「佛、我を念じたもう」ということ。 後悔はしたくないのに後悔を重ねて、あぐねる私にこそ、如来様の御慈悲はそそがれていたのです。

私は、後悔は人生を曇らす敵だと思っています。無駄なものだと思っています。 しかし念佛は、如来様の御教えは、無駄だ無意味だと私が捨てようとする存在を、いきいきとよみがえらせるのです。 そこから聞こえてくるのは、今日も佛道からはずれて生きている我が身の悲しさと、安心して後悔する生き方。 決して後悔しなくなるのではありません。後悔が喜びになるわけでもありません。 でも後悔が、私の人生を虚しくしているのではないのです。 ------- ウキウキと朝食を食べる息子に聞きました。 「きっと始業式の朝には、『ああ夏休みたのしかったなぁ』『昨日にもどりたい』と言いながら、ご飯を食べているんじゃないかなー。」と。

そうしたら彼はすかさず、キッパリ元気に答えました。

「だいじょうぶ!もう一日、がっこうを やすんだらいいんだよ!」と。 ・・・そうだね、こたえはひとつじゃないんだよね。 合掌

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