この夏、一番うるさいのは誰だ。
南無阿弥陀佛
ぐんぐん気温が上がります。
いよいよ夏が到来です。
お日様はいつもと変わらず私を照らしてくださいますが、
暑い暑いと私は日傘に隠れます。
お日様はいつもと変わらないのですが、申し訳ない事です。

梅雨が明け、蝉の声が鼓膜を突き刺すようになりました。
毎年思いますが、本当に、賑やかです。
自身の昆虫嫌いとも相まって、ああセミさんが恨めしい。
夏好きは公言してはばかりませんが、セミさんがお元気になるこれから暫くは、御法事に上がらせて頂く際に、頭を手で覆いながら庭木の下を速足で潜り抜けるという、私だけの過酷な修行が始まります。
このように喧々たる境内の有様ですが、いやいや庫裏も負けてはおりません。
家の中では、今日も子供達があっちへバタバタこっちへバタバタ・・・。
「わんぱくでもいい たくましく育ってほしい」
・・・そんなふうに考えていた時期が私にもありました。
今は、もう少しおしとやかでも良かったかなと思ってしまう今日この頃。
ああ、これでは耳の休まる暇がありません。
殺虫剤を撒くか否かの瀬戸際が、間も無くやってくることでしょう。
そんな折、
日差しの強い晴れ間のある日、ご来寺になった御方が仰いました。
「はぁ~、ここは沢山日陰があって涼しいですね。」
その御言葉にうながされて外を拝めば、突き抜けるほどの青空と、あふれるほどの樹々の碧さ、枝葉のやわらかさ。
そうでした。
生まれてこの方、そこにあった、私には「当たり前」の風景。
しかし本当は、無数の先師が汗を流し、御心を尽くされ残して下さった、かけがえのない樹木、樹木。
こんなに素晴らしい日陰だもの、そりゃあセミさんもお越しになるよね。
願われて、私は既に沢山のものに恵まれていたのです。
私が勝手にこしらえる「当たり前」が、「おかげさま」を覆い隠して、自分勝手の物差しで、良しや悪しやと忙しくしていただけなのでした。
そうです、蝉の声よりも、子供の声よりも、一番煩いのは、私自身でありました。
如来様のお出ましが、そんな眼のない私のまぶたを確かに開かしめるのです。
蝉の声が響くのも、子供達が元気なのも、私が忘れているだけで、御縁の賜物、恵まれもの。
勿論、だからといって、彼らが静かになるわけではありません。
が、彼らを静かにさせなければ、幸せになれないわけではないのですね。
如来様に気付かしめられたそんな風光を頼りにしながら、この夏もお付き合いさせて頂きたいと念ずるばかりです。
合掌
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