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私が伝えられるものは、無い。


雨音が、ただただ境内に響きます。 あま水のそそがれた草木は、充分にその身を潤して、一様に頭を垂れてみえます。 干乾びて、反り返って生きる我が身には、あまりにも眩しい光景です。


また、跡取り息子が、登校しようと玄関を出る間際まで悩んでおりました。 原因は、昨日授かってきた宿題です。 その宿題は「あなたの宝物はなんですか?」というもので、自分の宝物の絵をひとつだけ、配布されたプリントに描き、それがなぜ宝物なのか後日発表するというのです。 どうやら授業中に描き上げるべき課題であるらしいのですが、自分の宝物がハッキリしない彼は、何も描く事が出来ず、今日(金曜日)の授業で完成させなければ・・・と焦りながら宿題として持ち帰ってきたのでした。 帰宅後、彼は片っ端から家族を捕まえて「たからものを おしえて」と質問します。 どうして人の宝物を聞くのかと問うと、「だってぼくのたからものがわかならいから、ひとのたからものを、ぼくのにできないか きいていたの」と、泣きそうになりながら答えました。 そうかと言って、答えてもらった宝物が自分にとってしっくりこない場合、それじゃダメだと、また別の誰かへと質問を繰り返します。

ちなみに私が聞かれた時には、「御念佛」「佛法」「お寺」と答えましたが、どれも彼のお気に召さなかったようでした。 こうして、前回と同じく、御夕飯の時も、寝る前にも質問をしては悩み続け、とうとう学校に出発するその時まで、宝物を決めることが出来ませんでした。

彼がうなづく宝物とは一体何か・・・一緒に私も悩む、素晴らしい宿題でした。 釋尊(お釋迦様、おしゃかさま)の伝承に、実子である羅睺羅(らごら、ラーフラ)尊者とのやりとりがあります。 お釋迦様は釋迦族の太子としてお生まれになり、29歳で出家なさるのですが、城を出られる前に授かっておられた、ラーフラという子がいました。 35歳の時さとりを開かれ、後に故郷であるカピラ城に戻られるのですが、その時お釋迦様のもとに、母に連れられて幼いラーフラが赴きます。 彼は、母に言われるまま「王位を継ぐので、宝物をください」とお釋迦様にお願いをするのでした。(宝は、正当な王位継承者としての証のようなものであるとの説があります) これを受けてお釋迦様は、ラーフラに「こわれる宝と、こわれない宝の、どちらがよいか」と問われます。 すると、ラーフラは、「こわれない宝がいい」と無邪気に答えるのでした。 それを聞かれたお釋迦様は、長老の舎利弗を呼び、そのままラーフラを出家せしめたと伝えられています。(佛法を聴く身とせしめられたのです) 5月12日のブログにも記した通り、煩悩に振り回される私が欲しがるのは、こわれる宝だけです。 もしも、こわれない宝を欲する、稀有なる御縁を授かったならば、それは本当に安心なる世界を私に気付かせたいと願う、多くの尊い願いがはたらいてくださったおてがらです。 佛法は何よりの宝です。 この宝を、私は息子に伝える事はできなかったのですが、 そもそも佛法は伝えるものではなく、伝わるもの。 「伝えられる」という想いが、私の大きな大きな慢心でした。 佛法は、まず我が身が聞かしめられるもの。 私が御念佛を授かる姿から、もし何かが彼に伝わるならば、こんなに嬉しい事はありません。 合掌 先ほど彼が帰宅しました。 「宝物は描けた?」 「うん、どうしてもみつからなかったから、となりの子 とおなじ くまちゃんを かいたよ!」 「・・・。」

「たからものは、これからみつけるね!」

そうか、それはなによりやね。

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