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《癖》は、あなたがいればこそ。


南無阿弥陀佛

6月となりました。

本日は、衣替えの日となります。

これから徐々に透け透けの衣をお召しになったお坊さんを拝することとなるでしょう。

私は昔から中身が貧相なので透け透けの夏衣が好きではありません。

ですから透け透けでない夏衣を父に頼んでいたのが懐かしい限りです。

現在も、透け透けではない夏衣に袖を通しています。

貧相な頭の中も、なおってはおりません。


皆さまに《癖》はありますか?

跡取り息子の《癖》は、《下あごを前に出す事》です。

何かあるとやってます。

楽しい事があった時、

叱られて悲しい時、

集中して作業をしている時、

ご飯中も、お風呂の中でも。

流石に眠っている時は(私も寝ているので)わかりませんが、

正に四六時中。

気が付けばやっています。

しかし“下顎前突症”なんて話も耳にしますので、今の内にこの癖を直してもらおうと現在皆々で声掛け中です。

私は声を荒げられるのが好きではないので強く注意するのではなく、兎に角気付いてもらえる事を目的に、出来るだけ穏やかに、冷静に。

しかし、彼からすれば、大きなお世話ですね。

無意識にしている事でアレコレうるさく言われるのですし、もしも楽しくて顎を出しているのなら、なおさらでしょう。

『別に困ってないし、なんで言われなきゃなんないの?』と思っているかもしれません。

・・・このように、彼に対しては伝える側でありますが、私にもきっと《癖》があるのです。

「きっと」とは、《癖》は自身では気付き得ぬもの、と聞かせて頂いているからです。

日頃、法衣と共に佛語を振り回しておりますが、

口から出てきて下さった御言葉の重みをわかっていないのは外ならぬこの私。

あれやこれやと《妄念》をこしらえては、比較と損得の世界にしがみつき、他者を僻み、勝手に壁を作っては、さみしいさみしいと自身の首を絞めながら、今日も辟易しつつ過ごしている。

これが私の《癖》なのです。

が、先ほども申し上げた通り、このような私が自分の《癖》を知らされるのは、自身のちからでは不可能です。

私ひとりの世界では、そもそも《癖》など存在しない事でしょう。

《癖》はあなたが、如来様が私に掛けて下さるその御声があって、はじめて思い知らされる一大事なのです。

したがってお察しの通り、冒頭の「《癖》はありますか?」との質問は、そもそも成立しない問いなのでした。

「これが私の《癖》なのだ」と真に思い知らされたのなら、それは既に、それまでの《癖》とは違っています。

嗚呼、そうだった忘れておったと、うなづかされたそこには確かに、私からの罵詈雑言を厭わず教え続け、喚び掛け続けて下さったおかげさまに頭の下がる世界が開かれるのです。

今朝、息子が登校の支度をしながら、

「だいぶ したあご、でなくなってきたでしょ?」

とポツリと言いました。

嗚呼、もう私の出番はありませんね。

もとより妄念は凡夫の癖なれば 力およばぬことなり(高田派法燈 第十六世 堯圓上人)

合掌

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