お前ほど悪い奴はおらん。
南無阿弥陀佛
春の花粉症が徐々に軽くなってきた気が致しますが、今度は黄砂さんが、海を越えて本格的にお出ましです。 目・鼻・喉の痛みやかゆみは今暫く鎮まらぬ事でしょう。
私は薬を用いて痛みを抑える事に注力しますが、期待する成果があらわれずとも落胆するには及びません。 如来様より、痛みと共に歩む道が、既に開かれていたのです。
ですから私は安心して、今日も痛いかゆいと嘆く事が出来るのです。
ここの所、父の事をよく思い出します。
来月、8回目の正忌をお迎えする為かもしれません。
法務は勿論、トンカチを持たせてもソロバンを弾かせても器用にこなし、独りであちこち走り回っていた先代住職でありましたが、亡くなるまでの10年間は目を患っていた所為もあって共に過ごす時間が増え、その時の経験が今の私の宝物になっております。
今でも車のハンドルを握ると思い出すのは、父を助手席に乗せて京都へ向かう3時間の事。 車内はラジオの声のみで、あとはひたすら会話をするのみ。
優しくも、とても厳しい父でありましたから、私は不用意な事を言わぬよう心の中で話す内容を吟味しつつ、気を付けて喋っておりました。
そんな中、正午のニュース終了後、事件は起こりました。
ラジオで流れた凶悪事件のあらましを聞いて、私は言います。
「世の中には、こんなにも悪い奴がいるものなんやね。」
暫くの沈黙の後、父が言葉を発します。
「まぁ、お前ほど悪い奴はおらんけどな。」
・・・しまった!と思った時にはもう遅い。車内に不穏な空気が立ち込めます。
軽はずみな発言を悔やみつつも、私は「何故そんな事を言われるんだ。そんなわけないじゃないか。」と腹を立て、目的地に着くまで気まずい無言のドライブとなったのでした。
今にして想えば、自分の子供が、自身を棚に上げて他者を批判するというこの上ない醜悪さを見せ付けているのです。
目が見えずとも、それを眼の当たりにした父の悲しみは如何ばかりであったでしょうか。
しかし、それを見捨てず見過ごさず即座に看破して下さる処に、深い心を感じ入ります。
父をつらぬく如来様が、父を突き動かして、声を上げて下さったのです。
先代住職から直接叱られる事は、もう二度とありません。
が、相変わらず他者を批判する快楽に囚われ続ける私ですから、これからも私をつらぬく声無き声に叱られて、導かれ続けられたいと念ずるばかりです。
いつわりへつらわぬをしんという 親鸞聖人『浄土和讃』左訓
合掌