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本当に悲しいのは誰だ。


南無阿弥陀佛

既に桜が散り始めてます。

あっという間に季節が移りゆく様に驚く暇もありません。

私は「異常だ。想定外だ。」と慌て、時に腹を立てますが、そもそも私のものさしに合う日常ではないのだと、散り落ちる桜の一枚一枚が輝いて、私に聞かせて下さいます。


過日、100回忌の御縁を授かりました。

お家に上がらせて頂きますと、いつも素敵な施主様がお迎え下さいます。

お内佛(お佛壇)には紅白のお鏡さんに朱いロウソク。 きらびやかなお荘厳(おかざり)が、われらの為に調えられていました。

いつもいつも丁寧に御給仕をして頂く様子に、誠に頭が下がります。

お参りが始まるにあたり、お位牌を仰ぎます。

日付等より察するに、小さな子供さんの御往生に際して作られたお位牌のようです。

今日この場に、当時ご在世のお方はいらっしゃいません。 私はただただ、おもいをめぐらします。

若くして亡くなり、無念であったろうな。 子を亡くす親の苦しみは、いかばかりであったろうか。 親も子も亡くなるのが珍しくない時代の出産は、さぞや大変であったろうな。

“かわいそう”との想いが私の胸に起こります。

でもそんな私を、朱蝋に灯るお光がつつんで下さいます。

悲しみを機縁とする法事のはずなのに、まるでお祝いのような朱いロウソク。

ああ、如来様は私の想いとは世界を異にしておられるのですね。

私の思う「かなしい」は、

私の思う「むなしい」は、

畢竟、私とあなたを比べただけのものでした。

あなたの何をも知るわけでもないのに、 得意の知ったか振りで「自分のものさし」を振り回し、 自分の人生だけでなく、あなたの生き方を、あなたの死に様を勝手に計っていたのです。

そんな私の為に、

あなたは100年の時を超えて如来様の御教えを聞く御縁を授けて下さいました。

遇いがたくして今遇うことを得た“よろこび”を朱蝋が私に示されます。

今、目の前にあるのは、私の善悪など持ち込めるはずもない、

「生きて死ぬ」尊い「いのち」の厳粛な姿。

ただ私はうなだれ、うなづかされるばかりなのです。

最後に、耳の底に残る、父の言葉を。

「この世の中に、“かわいそう”な人間はいない。」

合掌

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