御説教は、誰が聞くものか。

2018/06/29

南無阿弥陀佛

 

 

おかげさまで立法寺の蓮も花芽が連なり、開花をしてはいないか、毎朝その姿を拝むのがより楽しみになってきました。

 

蓮がその華を咲かすのは、その身が泥中にあるからです。

その泥中にまでも陽を届けんと、日光が輝くからです。

 

しかしそのてがらの一切を、華に譲ってほこりません。

 

泥は葉に隠されて姿をあらわさず、陽の光は益々華を輝かせているというのに。

 過日、私の大好きな御寺院にて説教大会が開かれました。

 

話すのが大好物の私。

当 立法寺でも数年前より「合同説教会」を企てておりますが、こちらはずっとずっと前から、多くの僧侶と聞法者が御参集なさる法会を営んでおられるのです。

 

御縁授かって2年前、大会の前座として高座に上がらせて頂いた感激は今も忘れておりません。

 

昨年は伺うことがかないませんでしたが、不思議と御縁が調われ、今年は数々の御説教を聞く為にウキウキしながら門をくぐらせて頂いたのでした。

 

 

御寺院到着後、境内をスマホで撮影しつつ、いよいよ御本堂に上がらせて頂こうとしておりましたら、向拝の階段でばったり御住職と御弟子の方々にお遇いしまして、それから気付けば何故か高座に上がらせて頂いている私。

 

お遇いしてすぐに御住職から「よかったら御説教、どうですか」と言われて、普通ならば辞退申し上げるべき礼儀も忘れて「喜んで!」と即答する私は、「立法寺の跡取りは、口から生まれてくるんや」と代々言われている言葉に、心の底からうなづかずにはおれませんでした。

 

 

 

2年ぶりに上がらせて頂く高座から拝む聞法者のお顔は、皆々真剣そのもので、真実の御教えを求めんと集われるそのお姿に、頭が下がらずにはおれません。

 

勿論、一人ひとりのお顔も、性別も違います。

歩んでおられる人生の風景も、みんなバラバラです。

 

しかし、皆同じく西を向かれて、同じう如来様を拝んでおられる。

 

そこには確かに、

 

聴くことにいのちをかけるひとがいらっしゃいました。

 

 

きっと御当人は、大げさな事だと仰るでしょうが、私の眼にはそう映ったのです。

 

 

そうでした。

 

私がこうして、口を動かす事がかなうのも、聞いて下さるあなたがおられるからなのですね。

 

そしてこの私に、一番に如来様の御教えを聞かせようと、こうしてお出まし頂いたのでした。

 

 

 

高座というのは、こちらの声が通りやすいように用意されたものだと聞いております。

 

しかし私には、法を聴くあなたのお姿がよく見えるように用意された場なのだと、改めて味わわせて頂いた事でありました。

 

 

御寺院関係皆々様、この度の御縁も誠に有難うございました。

 

 

御説教は、授かりもの。

忘れぬよう忘れぬよう。


 

 

合掌

 

 

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