私は、私を救えない。

2018/03/23

南無阿弥陀佛

 

 

青空がまぶしい限りです。

雲一つない空を仰いで深呼吸すると春の息吹が胸に満ちる喜びを覚えます。

そしてその後は必ずくしゃみと鼻水に恵まれるのもまた、春の風物詩。

 

 

最後のお弁当、最後の給食を経て、いよいよこの日を迎えました。

 

幼稚園、卒園式。

 

幼稚園にも保育園にも御縁の無かった私。

生まれて初めての式に臨む跡取りと同じく、私も初めての御縁を授かりました。

 

 

いわゆる待機児童であった彼が編入させて頂いたのは一昨年の6月。

幼稚園では沢山の事を教えて頂きました。

 

この2年、よく寝てよく食べよく遊ぶようになりました。

式の最中、壇上に座る彼が随分頼もしく見えたものです。

 

式の最後は花道を通って退場します。

彼の歩むその道は、いったいどこまで続くのでしょうか。

 

 

出来得るならば、末永く。

少なくとも私よりは長く、ずーっと長くあって欲しい。

 

如来様には申し訳ない事ですが、そう願わずにはおれぬ卒園式でした。

 

 

・・・。

 

ハレの日に辛気臭いと思われるやもしれませんが、

「満足」の次に待ち受けるのは、それが失われる「不安」です。

 

穏やかに寝息を立てるこどもたちの顔を拝む度、

言葉に出来ぬ虚しさを振り払う、それが私の現実なのです。

 

 

「親より先に死ぬことは一番の親不孝」

確かに、いつも、私の中には、こんな言葉もあるのですが、

何かを失う「不安」を拭えない私が考える「幸せ」では、

一生を尽くしても『本当の満足』は得られないのです。

 

 

凝り固まった私の想いが、破れ果てる世界。

『本当の満足』は、

私の想いでは決して理解できない世界なのでしょうね。

 

 

 

最後に如来の美声を。

 

『いつ、どこで、どんなふうにいのち終わろうとも、あなたのいのちは虚しくなんかない。』

 

 

合掌

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