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業深き我

【坊守】


今年に入り、顔をよく知った方達がご往生なされます。

授かりたくないご縁。現実を私に突きつけるご縁。

思わず、ごえんさんに

「なんで坊主ってこんなに死と向き合わねばならんの?こんなご縁頂きたくなかった……」

と愚癡ったのですが……





今年1月に、実家の祖父がなくなりました。

生前祖父は厳格な人で、祖母や母にはもちろん、孫達にも厳しく、子供心に怖かったのをよく覚えています。

祖父にはいろいろ怒られました。

今でも覚えているのが、草履を揃えて脱がなかったと大目玉をくらい、泣き出してしまったことです。 ひどく叱られたため、小さかった私は、


「祖父は大きく怖い人だ・・」



と、苦手意識を持ち、遠巻きにしてしまった事もありました。



でも、祖父は年々小さくなっていき、先日とうとう骨壷に入りきるほど小さな姿となりました。

あんなに大きくて、厳しかった祖父。

なんであんなに口うるさいんや!!

と思っていたものですが、骨になって仏になった今では、もうその怒る声も聞こえません。

あんなに怖かった祖父が仏さんになった途端、私の中で、怖さが全てよき思い出に変わったような気がしました。本当に、私という人間は勝手ですね……。

冒頭で書いたなんで坊主は……という問いにごえんさんは応えてくれませんでした。

でも、義父は、

「坊主ってのは、たくさんの死と向かい合わなければ分からないほど業の深い人間なんや。そんな人間やから、坊主にさせてもらったんや」

と言って見えました。

業が深いと言うなら、なるほどまさに私のことです。

あれだけ怖い、嫌いだ!と思っていた祖父の声が聞こえないとわかった途端、手のひらを返したように祖父の声は良かったと言い始めるのですから。


 

もう、シャバで祖父の声を聞くことはできません。

……でも、靴を揃えずに脱いだ子供を叱る私の口から出るは言葉は、間違いなく祖父の声だと思います。

それに気づいたと思ったらすぐ忘れ、今日も私はシャバにおります。

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