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平成30年5月法話




如来様は私を「迷っている」と悲しまれます。

しかし別に道が険しいわけでも、入り組んでいるわけでもありません。

では、何故「迷う」のでしょうか。


佛教の御言葉で「迷い」とは「無明(むみょう:真っ暗で何も見えぬ事)」であると説かれますが、「無明」とは“何もわからない事”ではありません。

「無明」とは、“私はすべて知っている(つもり)”という、自らをたよりとする心なのです。



私はこの心を根源としますから、仮に他者から誤りを指摘されても、この耳には届きません。

このゆえに自分の“間違い”には【無自覚】となり、自身のちからで「迷い」に気付く事は、一生を尽くしてもありえないのです。


如来様は、この「迷い続ける」私をお目当てに、必ずその「迷い」を離れしめたいとして、御念佛を届けてくださるのです。

【住職】

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