あれから一年。
南無阿弥陀佛
【住職】
大変御無沙汰しております。
いちがつは、いく。
にがつは、にげる。
さんがつは、さる。
とも聞きまして、正に光陰矢の如し。
如何に生きて来ようとも、
こうして恵まれてきた日常が、
“あたりまえ”と無為に過ぎるのか、
“おかげさま”と手が合わさるのか。
果たして私はどちらでしょう。
おっと、その判断を私が下しますと、
本当に全てが台無しとなります。
「“しない”じゃなくて“する気がない”んだよ。」
子供の頃、よく父に言われた言葉。
以前コチラでも申し上げた通り、私は仕事が遅いのです。
しかも、明日できる事は明日にまわそうとしますから、手の付けようがありません。
今では坊守から随分早い〆切を告げられるようになりました。
まことに申し訳ない。
前住職は、
「今日出来る事は、今日する。」
「明日出来る事も、今日する。」
「明後日の事も出来ればやる。」
という人間でしたので、
どうにも動かぬ私に、冒頭の御言葉を垂れてくださいました。
やはり、なんともならん我が子(私)を、
このまま放ってはおけないという、
親心のあらわれであったのでしょうか。
しかしあれから20年以上を経て今は、
また違った風光も、もたらされています。
即ち、“する気”を起こさぬ私に、
自らのチカラで“する気”をひねり出せ!・・と勧める言葉なのではなく、
私の中には、何かを“する気”など、そもそも無いのだよ、と。
ですから、何かを“する”とか“為す”とかいうのは、やっぱり私の手柄ではない。
今日に至る全ての御縁に許されて、今、私は、何かをさせて頂いているのだよ、と。
「させて頂く」とはその言の通り、その恵みを授かるのは、どこまでも私。
「ごえんさんだより」は、息子への遺言のつもりで始めたつもりだったのですが、
長く長くサボる中で、私こそ沢山のお授かりに与っていた事を思い知らされています。
書こうと思う事柄も、その瞬間に記さないと、次々にわからなくなっていったのです。
私が(勝手に)仰がせて頂いている大分の師も、
「ストックは使わないと腐る。」とお示しくださいました。
今、正に、噛み締めております。
気が付けば、HP開設&ごえんさんだより開始 一周年。
今後とも、私の為にこそ恵まれたこの場所でつぶやいて参ります。
どうぞ今後とも、ボンヤリまったりボチボチとお付き合いください。
合掌聞名
Opmerkingen