寒い、寒い寒い。

南無阿弥陀佛 過日、おかげさまで報恩講を執行させて頂きました。 5日間に及ぶおつとめが、ある意味に於いて「負担」でない、 とは言えません。 が、この私の思う「負担」という想いは、どこから起こるのか。 真の私に出遇わしめられる。 私にとってはそんな報恩講でもあるのです。 寒い。 それにしても寒いですね。 冬至・小寒もまだ迎えていないのにこの冷え込み。 酷暑の夏、暖かい秋からの寒暖差は、ただの寒がりにはいやはや堪えます。 冬本番はまだまだこれからなのでしょうが、 早いトコ夏になって欲しいと毎年思う今日この頃です。 きっと来年の今頃も同じことをつぶやいている事でありましょう。 寒さをしのぐ暖房器具は数有れど、 私はこたつが大好きです。 余りに好きすぎて「こたつむり」になってしまう為、 ここ十数年、こたつがお出ましにならなくなる程、大好きなのです。 しかし、 如何に好きといえども、真夏に入りたいとは思いません。 当たり前です。 当たり前の事なのですが、こたつが“私にとって”好ましいこたつである為には、 寒い寒い冬があってこそだという事を忘れぬよう忘れぬよう。 当たり前の事が当たり前過ぎると、その尊さを疎かにする。 このすくわれ難き病態を今、取り除く術はありません。 取り除く事なく、私を歩ましめる。 寒い冬が、夏になるわけではない。 私の欲望が何一つ叶わずとも、 それでよいのだとうなずかせずにはおれない。 それが御念佛の御利益。 このあたえられた御念佛をただただ称えるのみ。 ただただ聞くのみ。 合掌 #つぶやき #日々御縁

第四回「てらこやで」

12月16日に、第四回日曜学校「てらこやで」を開催させていただきました。 早いもので、今年も残すところ二週間・・。 外は寒い・・・でも、お外で鬼ごっこがしたい!!という元気な子供達。 そうか・・走りたいか・・・でも、体力的に(年齢的に)てらこやでの間中走るのは、ごえんさんも坊守も厳しい。 そして何より寒い・・・。ならば、何か作ってからなら走る時間は半分になる!という心の声が聞こえたとか聞こえなかったとか・・・ ということで、今月のてらこやでは、 凧あげ となりました。 いつも来てくれるお友達が廃品回収をしてから参加の為、6人の子供達と、お手伝いに駆け付けて下さった、お檀家さんのお祖母ちゃんと、ごえんさん、坊守の総勢10人で12月の「てらこやで」、はじまりはじまりー。 いつものように自己紹介から始め、順番を決めるゲームをして、お参り開始です。 今月の導師さんはなんと、ごえんさんとお祖母ちゃん。流石、お二人とも堂に入っております。ごえんさんに至っては、子供たちに良いところを見せようと誰よりも大きな声でお参りしてみえました。(大人げないね・・・) ちょっぴり難しいごえんさんの話を聞いてもらったら、廃品回収を終えて駆け付けてくれたお友達4人を交え、工作開始!! 菱型凧の型紙を切り、ノリで貼ったら、思い思いの絵をかいて、しっぽをつけて、竹ひごをつけて、糸をつけて完成! 出来た子から外に出て、 走る!走る!!走る!!!! 寒いから厚着して参加してね。と皆さんにお伝えしていたのに、気が付いたら、子供たちは上着を脱ぎ、ほっかほかの顔をして 嬉しそうに凧をあげていました。 そんな楽しそう

「なんで寿命がわからないの?」

南無阿弥陀佛 先般申し上げました通り、 間も無く始まる報恩講に向けて、理容店で髪を切って頂きました。 短くなった髪の毛に、気合も入ぬワケがない!という処ですが、 初冬の早朝、開門に向けて境内に繰り出しますと、 寒さが、身体に、いや、頭皮に食い込みます。 冬さん、冬さん、こんな処に御出ででありましたか。 まことに身に沁みるとは、このことでしょうか(笑) あるがまま、我が身に沁み入り、冬を心に届けしめん。 跡取り息子はこの春、小学1年生にして頂いて久しく。 そろそろ「なんで?なんで?」と問われる事も少なくなってきました。 そんな中で、不意打ちのように問われたのが標記の事。 一緒にお風呂に入っていると、ポカポカの顔をした彼が言ったのです。 「なんでのんのんさんになる日は、わからないの?」 その問いに正直びっくりしてしまいました。いやはや。 ちなみに、のんのんさまとは「のんのん、ののさま、ほとけさま」の通りです。 死ぬ日がわからないのは、何故か?と彼は聞きます。 どのように応えるべきか、一瞬の間の後に、私は口を開きます。 ― それじゃあ、もしも死んじゃう日が・・・例えば50年先、100年先だとして、納得できる? 「??」 ― キミが80歳のお誕生日で死んじゃうとして、誕生日がどんどん近づいて来るのは嬉しいかな? 「ううん、うれしくない。」 ― 明日は最後のお誕生日、そんな一日、どんな気分で過ごすんだろう?朝起きて昼過ぎて夜ご飯を食べる時とか。 「ぜったい、やなきぶん。」 ― そうだね、だから、わからなくしてもらってあるんだよ。 「ふーん。そっか。」 果たして彼に伝えられたのでしょうか。

有っても良い。無いのも良い。

南無阿弥陀佛 境内の紅葉がはじまりました。 とはいっても、台風で塩を被った葉っぱさん達は、 夏から変わらず茶色のまま。 このまま落葉するのか、来年の新芽は無事に生まれるのか、 今から心配は絶えません。 心配は、そうせずにはおれない貴方から授かる気持ちです。 でも、私の心配が、イコール貴方の心配事でない事は、 どうか忘れぬよう、忘れぬよう。 扨、この5日(水)からはじまります報恩講に向けて、 この度、髪の毛を短くして頂きました。 切って頂いたのは中学の頃から通わせて頂いている理容店様。 バリカンが苦手な私の為に、もう25年以上ハサミをふるって頂いているのです。 こちらの御主人というか、店主というか、庵主というか、 凝り固まった私の頭にいつも新風を恵んで下さる素敵な御方のお話は今後に譲りますが、 この度も忝く、ハサミだけで仕上げて頂きました。 ちなみに、先代住職も髪の毛の短い人でありました。 いや、短いというか、「全く無い」人でした。 私が生まれるずっと前から、頭を丸めてみえましたので、 小さい頃、父親には髪の毛が無いのだと、 はじめからツルツルなのだと本気で信じていたものです。 そんな姿をずっと拝ませて頂いておりましたから、 住職になったら、いずれは「無し」にしてしまおうと、 五分刈り?いやいや、三分?まだまだ。 坊さんならやっぱりバッサリやってしまおうと思っておりましたから、 理容館の庵主様に「いずれは、スキンヘッドで!」と、 威勢よく約束していたもの懐かしい想い出です。 住職として頂いて間も無く15年。 結局、私は剃らずにいます。 何故ならば、 「剃ったら結婚できないのではな

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