永代経って何?

もうすぐ永代経だね、もりちゃん!
せやね!!永代経やね!
・・・で、なにするの?
ご先祖様が永代成仏できるようにおまいりするの?

あー・・世間一般にはそう考えるところもあるね。
世間一般にってことは、高田派はちがうの?

高田派での永代経っていうのは


「千部読む 花の盛りの 一身田」本山御影堂前の句碑です。芭蕉の門人珍碩が本山大法会「千部法会」に群参する善男善女の方々を詠まれたものです。1680年に始まったこの千部会法会が、今日、各寺院では永代経法会(法要)といわれるもので、春秋の気候の良い時期で、農閑期を選んでつとまることが多いようです。
この法会は「永代にわたって、お経を上げる法会」ということですが、その意味はお経(経典=教え)をいただく人々が、私たちだけにとどまらず、子々孫々続いていくことを願っての法会といえます。
それだからこそ、おつとめの後、必ず法話がもたれます。善導大師も「聖教はこれをたとうるに鏡の如し。しばしば尋ねれば知恵を開発す」といわれています。聴聞を重ね、念佛のいわれを深く尋ねて、はじめて名利(名声と利得)に迷う自らの生きざまを知らされるのです。空しく過ぐることのないよう、また、真に願うべきことは何かを教えられます。
したがって、永代経法会とは、わが先祖への単なる追善供養(慰霊)ではありません。わが身に尊き仏法が届いたのも、ご先祖がみえたからこそと、遠き宿縁・法縁を喜び、仏縁の場がさらに広がるようにとの思いから営まれるものです。そして、そのための懇志も納められています。
亡き人をご縁として、納められた永代経懇志は、仏法ひろまれというご先祖(仏さま)の願いに応えるべく、法会の費用となったり、布教伝道のための教材・設備購入費にあてられたり、仏具やお飾り、あるいは本堂・境内の修理費等に用いられたりして、仏法興隆のためにつかわれています。
お寺で法会がつとまる時には、こぞって参詣し、最後まで聴聞しましょう
