歓喜会ってなに?

お盆だ!!長期休暇だ!バーベキューだ!飲み会だ!!

もりちゃん・・・

な、なによ!!ちゃんとお盆やでお墓参りだってするよ!!

お、えらいえらい!じゃあ、なんでお盆はお墓参りやお盆参りをすると思う?

知っとるよ!!あれやろ?ご先祖様がこっちに帰ってくるからやろ?やで、ナスとキュウリをよういするんやんね?

んー、まあ、半分正解、かな。

でも、半分はずれ・・・

えー?じゃあ、なんでお盆はおまいりするんよ?

​お盆のお参りはね、ご先祖様のためのお参りじゃないってこと。

お盆は「盆供養」「施餓鬼供養」とも言われ、一般的には「亡くなった人が現世に還って来る時」であり、先祖を祀り、ねんごろに供養する為の期間であると思われているようですが、別の角度から眺めれば、故人を深く偲ぶ時であるからこそ、故人(諸仏)から、生きている私のいのちを見つめ直す、自分自身の為の絶好の機縁を授かっていると考える事が出来るのではないでしょうか。

 先祖とは、私よりも先に亡くなった者です。その亡くなったいのちは、この私に「いのちは有限である」と教えてくれます。

それと同時に、いのちは先祖から確かに受け継いだものであり、また現にこのいのちを生かす為、多くのいのちに支えられている事をあらわして下さるのです。

 正に、有る事が難しい「有り難いいのち」を賜っている、それが、「私が生きている」という事なのです。

 普段、私は「自分の力(自力)」で生きているつもりですが、それは大変な思い上がりで、実際は「思い掛けない沢山の他の力(他力)」の「おかげさま」によって生かされているのです。

自分から 回っている気の かざぐるま

という言葉がありますが、全く持って自分自身の事でありましょう。

 

 このように、真宗門徒のお盆とは「【亡くなった彼(か)のいのち】と【生きている我がいのち】とが触れ合う事を通して、只今おかげさまに支えられ、現にはたらいている【貴方の不思議ないのち】に想いを馳せてください」という阿弥陀如来の願いのお声を聴く特別なひと時なのです。

 この如来の智慧の眼(まなこ)が、日常を「あたりまえ」と思い込む私に、「いのち」とは、あふれる「おかげさま」の賜り物であった。という【自省】を促し、その自省が、生き方を見直す機会を授けて下さった真実の教え(お念佛)に遇い難くして出遇えた。という【敬いの念】を授けて下さる事でしょう。

 

 これが如来から賜る真実の信心であり、信心の姿を「歓喜」とも申すのはこの為なのです。

 

 このように「歓喜会」とは、授かった「いのち」が確かに私を生かし、生きている事実に気付かされ、よころび、感謝申し上げる法会なのです。

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